織田信長こそ権威主義的な戦国時代の模範生?
大間違いの織田信長③信長は権威をどう使いこなしたか?
権威で下剋上
気付きましたでしょうか?
自分の上に一号と二号という邪魔者がいるわけですが、その一号・二号よりも上の斯波家の権威を使って命令を出してもらい、その二人を潰した功績で斯波さんに次のポジションを認めてもらう。自分が一号になるわけです。
そして斯波さんが邪魔になったら、因縁つけて出て行ってもらう。「ここまで斯波さんに尽くしているのに、その仕打ちですか! ちょっと考え直してくれませんか」ということを繰り返しているうちに、信長と斯波さんの間で利害が対立します。お飾りと、お飾りにしようとする人は、往々にしてこうなります。「私はこんなに筋を通しているのに!」と言っても、お飾りの側からしたら「いやお前のその態度が気に食わないんだよ」となるので、当然です。実際の力関係としては信長の方が強く慇懃(いんぎん)無礼にしていればいいだけの話で、挑発して耐えかねたら暴発して追い出せばいいという、実に簡単な話です。後で詳しく解説しますが、この斯波家を追い出すときも信長は権威を利用しています。
このように、信長は権威が嫌いとか無視するどころか、人生の前半生二十七歳くらいまでは権威を使うのが滅茶苦茶に上手く、むしろ権威を大事にする人でした。つまり、信長こそ、権威主義的な戦国時代の模範生なのです。
戦国時代の下剋上の実態は、「下の者が上の者に剋かつ」です。横のライバルや上の邪魔者を倒すには、権威だって使いようなのです。
〈『大間違いの織田信長』(著・倉山満)より構成〉
明日は『室町幕府十九回目の滅亡?』
大間違いの織田信長④信長は室町幕府を滅ぼしたのか?です。
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